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福岡高等裁判所 昭和37年(う)95号 判決 1964年5月04日

主文

本件各控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、全部被告人等四名の連帯負担とする。

理由

<前略>

一、清源、安部、立木二弁護人の控訴趣意第一点及び被告人等四名の各同趣意(いずれも事実誤認の主張)について

所論に鑑み本件記録及び原審で取調べた証拠を調査し、なお当審における事実取調べの結果を参酌して考察するに、原判決挙示の証拠を総合すると、同判示のとおりの事実を優に肯認することができ、証拠の取捨選択及び価値判断についても、格別違法または不当とすべき廉は発見できない。殊に所論は、原判決が被告人等並びに各弁護人の主張に対する判断の項において説示する二の(一)中広瀬典義が日田林工高等学校正門内に自動車で乗り入れた際の状況についての判断(原判決第二三丁裏六行目から第二四丁目表一行まで)及び同上の(二)ないし(五)の各判断につき争い、これらをいずれも事実の誤認と主張するけれども、これらの諸点について原判決が逐一証拠をあげて説示するところは概ね間然するところなく、その判断はいずれも相当であつて、さらに縷説を要しない。なお弁護人等は押第三号の(1)ないし(4)の写真四葉につきその証拠能力を争い、右写真は作成者不明で被害者に匿名で郵送されたものというが、写真の証拠能力については、少くとも撮影者が法廷で立証されなければこれを付与してはならない旨主張するので按ずるに、通常の場合写真を証拠とするには、撮影者を公判期日に証人として尋問し、その真正に撮影されたものであることを供述したときにこれが証拠能力を付与されるものと解されるが、作成者不明の場合、若しくは作成者を公判期日に尋問することのできない特別の事情ある場合においても、他の証拠によりその写真が何時、何処で、如何なる情景を撮影したものであるかが証明されたときはなおこれを証拠とすることができるものと解するのが相当である。証人広瀬典義の原審第六回公判における供述及び押第二号の現場写真原板、同第四号の通信文、同第五号の封筒各一枚によると、右写真四枚は、その原板(押第二号)を匿名の者から大分県教育庁内の広瀬典義宛郵送して来たもので、これに基づき大分県警察本部警備課警察書記佐藤安弘において作成したのが右写真四枚であることは同人作成の昭和三四年八月二四日日附「引伸写真作成について」と題する報告書及び原審第四回公判調書中同人の証言記載によつて明らかであり、且つ<証拠>によると、右写真四葉は、その各肯景、人物及び情景上いずれも明らかに本件当時犯行現場において広瀬典義と被告人等との接触の情景を撮影したものと認められ、且つその成立の真正を疑うべき格別の事情も窺われないので、これを証拠とすることができるものと解すべきである。而して<証拠>に徴すると、証人広瀬典義の原審第五回ないし第七回の公判における各供述は十分措信するに足り、弁護人等所論のように被告人等に敵意を持つて殊更に誇張し紛飾したと認むべき節は存しない。従つて原判決がこれら証拠を採つて同判示事実認定の資料としたのは正当である。

これを要するに、原判決が挙示の証拠により同判示のとおり認定したのは相当であり、原判決には所論のような事実の誤認その他の違法なく、証拠の取捨判断に何等非違を見ない。所論は、ひつ竟原判決が措信しなかつた証拠に基づきその正当な事実認定を非難するもので理由なく採用の限りでない。

二、清源、安部、立木三弁護人の同趣意第二点の一及び柳沼、尾山、岩村、新井四弁護人の同趣意(いずれも超法規的違法性阻却事由存在の主張)について、

論旨の骨子とするところは、原判決には弁護人等の正当行為論としての超法規的違法性阻却事由の存在の主張に対し動機目的の正当性、手段の相当性及び法益の均衡性についてその前提たる事実並びに違法性阻却事由の存否に関する法律判断を誤り不当にこれを排斥した違法がある、というに帰する。

よつて先ず判断の便宜上所論にいわゆる前提たる事実の誤りを含む「手段の相当性」の主張について按ずるに、所論は、被告人等の行為(手段)は、講習会場正門前において被告人等が張つていた受講者に対する不参加説得のための極めて平和的な正当なピケツトを挑発的行為で強行突破し不当にピケツト権を侵害した一見受講者風の身分不詳者に対し、これを追つて身分を問い、なおその者の人物風采や持物等から確認が得られないので、会場校講内が管理者によつて立入禁止とされていたのを尊重し正門外でその身分を確かめ、受講者であれば不参加の説得を試みようとして強制に亘らない方法で同人を正門外まで連れ戻したに止まり、時間にして僅かに、二、三分の間のことで、もとより原判示のような傷害を与えてはいないのであるから、いわば説得のための正当なピケツトに対する不当な侵害を自救的に回復するための行為であり、その間多少その者の肩に手を触れ、あるいは腕を強く抱える等のことがあつたとしても全体的に見れば極めて相当な手段であつたということができる旨主張し、且つかかる所為に出でるについては、政府文部省においては、勤務評定を頂点とする民主教育の外的条件への攻撃をほぼ終え、いよいよその内容に直接容喙しこれを支配するるために教育課程を改訂し、これを一方的且つ半ば強制的に教師に講習せしめるべく本件の如き伝達講習会を強行開催しようとしたのであるから現場教師たる被告人等がこの計画を失敗に終らせ、現場教師の理解と協力なくしてはいかなる不当な教育政策も権力的に逐行し得ないことを文教当局に悟らしめることが緊急に必要であり、特に教育委員会側があえて教組側の講習会不参加説得を回避妨害した一方、講習会開催の前日から受講者を会場に導入することが慮られ、同日午後会場入口附近においてピケツトを張り受講者を説得し、その受講を思い止まらせるよう努むべきことが緊急に必要とされ、それ故会場正門前にタクシーで乗りつけ、身分も明かさず強引にピケツトを突破しようとした一見受講者風の広瀬指導主事に対し、被告人等が不参加の説得を試みようとしたことは洵に緊急且つ必要なことであつた旨強調する。即ち所論は、右前段において主張する事実関係の上に立ち、これを前提として本件超法規的違法性阻却事由の存在を主張するもののようである。しかし、既に前段認定のとおり、広瀬の会場正門乗り入れ行為は、教組側の者が停車させようとしたのを無視してなしたものではあるが、玄関ポーチ前で下車した直後、追いかけて来た被告人等から詰問されてその身分姓名及び来校の目的等を告げ、いわゆる受講者の説得を目的とする被告人等のピケツトとは無関係であることを明らかにしたのであるから、これにより所論はいわゆるピケツト権の侵害はなかつたことが判明し、また仮に所論のようなピケツト権の侵害があつたとしても、その侵害はも早終了消滅したに拘らず、被告人等は進んで講習会開催阻止の実効をあげようとして玄関内に入ろうとする広瀬に対し、その前面に立塞がり、胸部を突いたり背後から押したり、左右の腕を両側から掴み、引摺る等の有形力を行使して無理に正門外に連れ出し、もつて広瀬が再三に亘り校舎内に入ろうとするのを阻止したものであることも前段認定のとおりであつて、所論の前提とする事実とは著しく異るものであるから、も早所論にいわゆる受講者説得のための正当なピケツトに対する不当な侵害を自救的に回復する行為とすることのできないのは勿論、受講者であるかどうかを確め、受講者であれば不参加を説得すべく正門外に連れ出したものではないから、その為の相当な行為とすることのできないことも言うをまたない。従つてまた事実と異る前提に立つ手段の必要性、緊急性についての所論も採るを得ないこと明らかである。

ところで本件中学校技術家庭科実技講習会は、教育基本法に掲げる各条項を実施するため制定された学校教育法の第三八条及び第一〇六条において、「中学校の教科に関する事項、」は監督庁である文部大臣がこれを定めるとの規定に基づき、学校教育法施行規則を昭和三三年八月二二日附文部省令第二五号により改正し、その第五三条で中学校の教育課程中の必修教科である従来の職業家庭科に代えて技術家庭科を定め、且つ同規則第五四条の二の規定に基いて同年一〇月一日附文部省告示第八一号の中学校学習指導要領をもつて教育課程の一般的基準を公示したものであるところ、技術家庭科は従来のものに比べ内容及び程度に相当の違いがでて来るところから、その趣旨の徹底と担当教師の学習指導能力の充実向上を図るため、地方自治法第二四五条の三第四項、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第二三条、第四八条、第四九条、地方公務員法第三九条、教育公務員特例法第一九条に基づき、昭和三四年五月二二日附文初職第四〇一号文部省初等中等教育局長名の各都道府県教育委員長宛通牒により、文部大臣及び大分県教育委員会の主催によつて計画実施されるに至つたものであることは、原判決が証拠にもとづき説示するとおりである。而して右学校教育法施行規則第五四条の二は、「中学校の教育課程は、この章で定めるもののほか、教育課程の基準として文部大臣が別に公示する中学校学習指導要領によるものとする、」と定め、前記文部省令第二五号による改正前の旧規定が、単に「教育課程については学習指導要領の基準による、」こととしこれに基づき文部省において作成した学習指導要領は何等法的束力を持たない単なる指導書、手びき書に過ぎないとされたのを改め、且つこれを文部省告示として公示する一の法規命令と解し、実際にも学校及び教員に対し法的拘束力あるものとして運用されていることは、弁護人等所論のとおりである。しかし、右学校教育法施行規則第五四条の二にいわゆる教育課程の基準たる中学校学習指導要領に定めることのできるのは、学校教育法第三八条の明定する「中学校の教科に関する事項」の範囲内たるべきは当然であり、右「教科に関する事項」もこれについての文部大臣による国の基準立法には自ら限界があるべきであつて、教育委員会の固有の権限に属する事項は勿論、教員の教育権限内の事項を制限し、これを侵すものであつてはならない。また告示は、その表示内容が当然に法規であることを示す法規命令の形式ではなく、各種行政措置の公示の形式に外ならないから、その表示内容は法規命令に限るものではないこと勿論である。従つて告示の形式によつたからと言つてその表示内容が法規命令になるようなことは絶対になく、その効力は専ら表示内容の法的性質によるのである。

しかるに本件中学校学習指導要領は教育課程につき大綱を示すに止まらず、各教科等の教育内容、方法、教材等につき詳細に定めており、文部大臣による国の基準立法の限界を逸脱していると認められるものがないわけではなく、これらは実際の運用における取扱いの如何に拘らず法規命令としての法的拘束力を持ち得ないものと解すべきであるが、文部大臣には元来教育課程の細部に関して指導助言権があるので、これらについてはその指導助言行為を公示したものとしてなお適法と解することができる。果してそうだとすると、実際の運用の面では問題があり得るとしても、本件中学校学習指導要領をもつて必ずしも教育基本法第一〇条に違反し、教師の教育権限を不当に侵害するものと断じ去ることはできず、所論にいわゆる民主教育を破壊するものとも考えられない。

而して右中学校学習指導要領は、技術家庭科において、(1)生活に必要な基礎的技術を習得させ、創造し生産する喜びを味わわせ、近代技術に関する理解を与え、生活に処する基本的な態度を養う。(2)設計、製作などの学習経験を通じて表現、創造の能力を養い、ものごとを合理的に処理する態度を養う。(3)製作、操作などの学習経験を通じて技術と生活との密接な関係を理解させ、生活の向上と技術の発展に努める態度を養う。(4)生活に必要な基礎的技術についての学習経験を通じて近代技術に対する自信を与え、協同と責任と安全を重んじる実践的な態度を養う、ことを目標とするものであるので、これを従来の職業家庭科から改編したのは、科学技術の進歩発展に適応するよう生活に必要な基礎的科学技術を習得させ、近代技術に関する理解を与えることを主眼としたものというべく、必ずしも技術革新が要求する技術教育の基本理念を没却し、義務教育のあり方を忘れたものとは断じ難い。そして本件講習会の開催は、前説示のとおり、従来の職業家庭科を技術家庭科に改編したことに伴い、その趣旨の徹底と担当教師の学習指導能力の充実向上を図るにあるものであり、所論主張のような不当な意図に出でたものとは認められず、且つ教師の自主研修を侵害するものとは解し難い。

所論は、いわゆる民主教育、教育権の独立、教師の教育権、教育の自由を唱え、文教当局の文教政策については、これを反共軍事政策体制の一環としてわが国の再軍備化を促進し、まその見地からわが国の資本主義経済を急速に復活強化し、さらにその高度成長を図ることを基本的目標とし、これに抵抗を示す国民を抑圧し、また国民の依拠する憲法ないし平和主張、民主主義を排除しようとする反動政策に即応して、教育によつて平和主義、民主主義がわが国の間に広められることを阻止するため、平和教育、民主教育を抑圧し、その担い手であり擁護者である現場教師と教師の団結に対して弾圧を加え、さらに進んで教育を通じてわが国の次代を担うべき青少年をして反動政策推進のための手足たらしめようとするものであると決めつけ、かかる見解を前提として本件教育課程の改編、中学校学習指導要領の制定公布及び本件技術家庭科実技講習会の開催につきこれらを違法として極力論難を加えるが、右見解自体たやすくくみし得ないものであるので、すべて採るを得ない。而して以上のとおり格別違法とするに当らない本件技術家庭科実技講習会の開催実施につき独自の見解をもつて違法不当と断じて極力これに反対し、単にピケツトを張り受講者を不参加に説得するようなことではなく、ピケツトの目的をも越えて前段説示のとおりこれが開催準備に来校した広瀬指導主事に対し、暴力を振つてその入校を阻止する如きは、その目的において正当であるとは到底なし難い。

既にその目的において正当とするに当らず、手段方法においても相当性を欠くものであること上来説示のとおりである以上、法益の均衡につきさらに判断をなすまでもなく、所論主張の正当行為としての超法規的違法性阻却事由の存在はこれを認めるに由なく、これと結論を同じくする原判決の判断は結局相当であるので、原判決には所論のような法令の適用の誤りの違法あることなく、論旨は理由がない。

三、清源、安部、立木三弁護人の同趣意第二点の二(理由不備及び法令適用の誤りの主張)について、

論旨は、(1)原判決では広瀬典義の本件当日の行動が指導主事としてか、本部運営委員会事務局長としてか明らかでない、また両資格とも公務員に該当するというのか、その何れかが公務に該当するというのか、更に本件当時の同人の職務は右二つを兼ねたものか、いずれか一つだけなのか意味甚だ瞹眛で理由不備の違法に当る。(2)本件講習会は何等法規に基づかない一の行事であるから公務ではない、仮にこれを公務であるとしても、本件講習会場の設置準備は公務ではない、広瀬の当日の任務も公務員としての事務ではない、のみならず広瀬は会場設置準備中ではなく会場に赴く途中であつたから「職務を執行するに当り」というに該当しない。これと異る判断をなし広瀬を公務の執行中であるとして被告人等を公務執行妨害罪に問擬した原判決は、法令の適用を誤つたもので、破棄を免れない、というのである。

よつて按ずるに、(1)原判決によると、広瀬典義は、本件当日大分県教育委員会事務局学校教育課の中学校職業家庭科担当の指導主事並びに本件技術家庭科実技講習会県本部運営委員会事務局長として、右指導主事兼事務局長の職務たる原判示事務を遂行するため来校したものであること、その判文上明らかであり、且つ右は同人が公務員として公務の執行に当つたものと判示しているものと認められるので、原判決には毫も所論のような理由不備の違法は存しない。(2)刑法第九五条第一項は、公務員によつて執行される公務をその保護法益とするものであつて、その公務は法令上具体的に規定されたものに限らず、公務員の一般的権限に属する行為であれば足り、また同法にいわゆる「職務を執行するに当り」とは、職務の執行中に限らず、まさにその執行に着手しようとする場合も含むと解する。本件技術家庭科実技講習会は、先において判断したとおり、地方自治法第二四五条の三第四項、地方教育行政の組織及び運営に関する法律第四八条、第二三条、第四九条、地方公務員法第三九条、教育公務員特例法第一九条に準拠して文部省及び大分県教育委員会の主催で開催されることになつていたものであるが、大分県教育委員長発昭和三四年六月二二日附教委学第七三一号「昭和三四年度中学校技術家庭科大分県実技講習会の開催について」通牒謄本(検第二八号)、同年七月八日附教委学第八六二号「昭和三四年度技術家庭科実技講習会の運営について」通牒謄本(検第二九号)、同月二三日附教委学第九三九号「昭和三四年度中学校技術家庭科実技講習会の会場運営について」通牒謄本(検第三一号)、大分県教育委員会行政組織規則写、大分県教育庁等処務規程写、大分県教育庁処務細則写(第三二号)、原審における証人広瀬典義、同大石俊之、同米田貞一の各供述記載に徴すると、右講習会の開催実施は、大分県教育委員会事務局(教育庁)学校教育課の分掌事務で、特に広瀬典義は同課における中学校職業家庭科担当の指導主事として直接これが開備準備、運営の事務遂行に当つたものであるところ、県教育委員会においては、その円滑なる開催と適切な運営を期するため、大分県下の講習会全般を統轄する県本部運営委員会と各会場別運営委員会を作り、県本部運営委員会の委員長には学校教育課長大石俊之が、事務局長には右広瀬典義が任命されたので、広瀬はさらに右事務局長として教育長の命により講習会実施に関する事務全般を処理することとなり、本件日田林工高等学校における講習会についても、講師の選定、会場の設定、資材の購入整備その他講習会の実施、運営に関する一切の事務に従事し、本件当日は翌日から開催される講習会のため必要な教材のラジオセツト、ラジオ部品、「技術教育の進め方」と題する教材五〇部位を携えてこれを搬入すると共に同高等学校に到着後直ちに電気木工等の講習会場の準備状況の点検、機械器具の据付場所の選定、電波強度の測定、講師との連絡等の事務に着手するため来校したものであることが認められるので、本件講習会は文部省及び大分県教育委員会が法律上の職務権限に基づき開催するもので、広瀬典義は大分県教育委員会事務局学校教育課の中学校職業家庭科指導主事及び昭和三四年度中学校技術家庭科実技講習会県本部運営委員会事務局長としてこれが開催運営の事務処理に当り、本件当日の教材等の搬入及び会場の準備状況の点検その他講師との連絡等はその職務行為の一部であることが明らかであるので、本件講習会を開催し、及びその為会場の設置準備をすることは正に公務であり、広瀬の本件当日における右職務行為も亦公務たること明らかであり、仮に教材等の搬入を除くとしても、同人が日田林工高等学校玄関前に到着したときは、前示会場の準備状況の点検等の職務に着手しようとしたときであつて刑法第九五条第一項にいわゆる「職務を執行するに当り」というに該当する。これと同趣旨に出でた原判決の判断は相当であり、原判決には所論のような法令適用の誤りあるものではないので、論旨はいずれも理由がない。

四、清源、安部、立木三弁護人の同趣意第二点の三(理由不備、理由くいちがい又は審理不尽の主張)について、

論旨は、原判決は、被告人等四名が広瀬典義に対し、「お前はどこから来たか、何しに来たか」等と尋ね、同人が「教育庁の広瀬指導主事だ、講習会の準備のために来た」と答えたことから同人が受講者でなく講習会の準備のために来た広瀬指導主事であることを認識した旨認定しているが、当時県教委側と教組側とで受講者の争奪に血眼となり異常な空気の中に受講者が講習会場に潜入のおそれありと考えられたので、これらを発見説得しようとの非常な決意の下にピケツトを張り異常な興奮状態にあつた際広瀬がハイヤーで乗り入れ、教組側の者をしてピケ破りだと思わせる刺戟的方法で玄関前に突入したため、ますます興奮状態を高め、受講者と間違えて後を追つて行き、しかも同人が被告人等と玄関前ポーチ上で言葉を交わした上共に正門前に出る迄の時間は極めて短時間(一、二分)であり、広瀬の人相骨柄風采が如何にも受講者らしい点から見て、又一面立入禁止札を無視して入校していた被告人等が住居侵入罪として問責されることに極度におびえていた状況下において、被告人等に正常な判断を期待することは極めて不合理であり、原判決のいう認識あり、且つ犯意ありとなすことは、経験則に違反し、理由不備、理由くいちがい又は審理不尽の違法あるものである、というのである。

しかし原判決挙示の証拠、殊に原審証人広瀬典義、同都留光、同大保友美、同佐藤友喜、同井上裕の各供述に徴すると、被告人等は、原判示のとおり日田林工高等学校玄関前における広瀬との問答により、同人が受講者ではなく、広瀬という県教委の指導主事で講習会の開催準備のため来校したものであることが明らかとなつたので、十分これを認識し、且つ爾後その認識の下に行動したものと認められ、その間の事情につき原判決が被告人等並びに各弁護人の主張に対する判断中二の(二)、(三)において説示するところはむしろ事理にかない相当であると思われる。所論指摘の証言中右に反する部分は前記証拠に照らし全く措信できない。原判決には所論のような経験則違反などなく、理由不備、理由くいちがい又は審理不尽の違法も存しない。論旨は理由がない。

検察官の同趣意(量刑不当の主張)について、

論旨は、原判決の被告人等に対する各刑の量定は軽すぎて不当である、被告人等の本件犯行の動機には何等情状酌量の余地なく、その所為は健全な民主主義に反する暴力行為であり、且つ執拗悪質な計画的犯行である。その上被告人等は終始自己の行為の正当性を主張し何等改悛の情が認められない。かかる被告人等に対し原判決のような寛刑では無意義であり、この種事犯に対する刑罰による法秩序の維持は到底期待できない、というのである。

記録によると、検察官所論のような諸事情も窺われないではなく、教職にある者の行動、態度として遺憾とすべきものもあるけれどもさらに被告人等の地位、身分その他諸般の情状を考え事案に即して考量すると、原判決の被告人等に対する各刑の量定は必ずしも軽きにすぎて無意義であり、この種事犯に対する刑罰による法秩序維持のため不当として破棄すべもものとは考えられない。論旨も理由がない。<以下省略>(裁判長裁判官青木亮忠 裁判官木下春雄 内田八朔)

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